勉強になるな。

 久しぶりにニュースネタ。安保法案の成立が近い、ということで毎日盛り上がっております。冬眠蛙は法案を読んだわけではないですけど、自分の意見は一応持っております。ここには書きませんが。

 …が、今日のセクハラ騒動、あれには本当に幻滅。これが政治?馬鹿にしてるとしか思えませんね。多分今回の一連の騒動で間違いなく民主・社民は評判を落としたんでは、と思います。前者は個人的に感心する政治家も多くいるので残念な思い。
 こんなこっ恥ずかしいのがニュースになるのか~、という暗い気持ちだったのですが、実はこのセクハラ戦術、韓国では常套手段で、その対策のために女性警官も多く駆り出されるのだとか。もしかしたら今回の作戦もそこから学んだ?やれやれ、世界は広いですね。

 仙台は今日も雨。これだけ降ると、お米だいじょうぶかしらん、と心配になっててしまいますね。明日は晴れてほしいものです。では。

それがもしも正しいのならば。

「維新の会」で注目を集めている大阪市の話題でちょっと思ったことを。ちなみに冬眠蛙は以前大阪府で橋下知事が誕生した際に、「きっとうまくいかない」と思っていたのですが、ちょっと今は橋下市長を見直しています。無論「それは違うんじゃない?」っていうのも多いんですが。 

で、今回眼に止まったのが市の職員の入れ墨調査。もともとはゴミ収集職員がしていたのが眼に止まって意見が寄せられたんだとか。で、環境局で調査した結果、約50名の方が入れ墨していた、とのこと。結構いるんですねえ。ちょっと驚きました。

人数の話は置いといて、果たしてそれは問題なのか。掲示板やTwitterを見た感じ、8割位の方は「問題あり」。でも明確な理由が出せている人はいないようです。当たり前ですね、そんな規則ないんですから。

ただし、それが問題だ、と考えている人が多数存在していることは絶対的な事実であり、そういった方々の存在は多数であるがゆえ、決して無視してはいけない。規則どうこうではなくて、受け取る側の印象の問題。だから冬眠蛙は、「問題だ、と考える人がある程度少ないのであれば、入れ墨はOK」だと思います。

なので、入れ墨は問題ないよ、単なるファッションだよ、という方がいるのであれば、そして、自分の考えは正しい、と思うのならば、その意見を広める努力が欲しいですね。現在の状況では、あなたの主張は受け入れられていないわけですから。入れ墨に限らず、結構いろんなことで同じことが言えると思います。

 

 

実は冬眠蛙自身、入れ墨をしている公務員にはかなり違和感あります。入れ墨に対する認識が変わりつつあるのは知ってますけど、意識が受け付けない。私みたいな人も結構いるんではないかと。どうですかね。

ちなみに「人数の話は置いといて」と書きましたが、他の業界も含めて、どの位の割合なのかは興味ありますね。たとえば金融系でもいたりするもんなのでしょうか。どっか調べてみて欲しいと思う冬眠蛙でした。

2つのニュースに対する素直な感想

次々回のオリンピックがリオデジャネイロに決まりました。東京は2回目の投票で落選とのことで、残念な結果に終わりました。多分にちょっと厳しいかも、という雰囲気の中での誘致活動であり、そういった意味で、本当に立候補すべきだったのか的な意見もきっと出てくるのでしょう。

昔サッカーのW杯開催に立候補したときも同じ雰囲気になりかけました。韓国でいいじゃない、的な意見を何名かの方から聞いており、そのときは「まあそうかもなあ」位に感じたのですが、今思えば、アレを開催したことで、サッカーに初めて興味を持った、という人も多かったでしょうし、子供たちに夢を与えることもできたと思います。ああ、やっぱりやって良かったのだと。そういった部分も考えて誘致したんだなあと。

こういった催しは経済効果が取り上げられがちなのですが、本質からだいぶ離れているように感じます。多分東京への誘致活動に取り組まれた方も同じ気持ちでしょう。厳しい情勢の中で懸命にアピールを続けた皆さんには敬意を表します。御苦労さまでした。

 

かたや国内では補正予算の話題がニュースの中心。目標額には遠くおよばなかった、ということらしいですが、冬眠蛙的には「2兆円も出せたか」という驚きの方が大きかったです。やればできるんじゃないか、と。でも賭けてもいいですが、各省庁まだバッファを持ってますね。きっともう少しは出せるでしょう。

あと、このテのニュースで必ず取り上げられるのが、それで困る人たちの意見。まあ公平性担保、ということで当然とは思いますけど、そんなので政策がブレないことを祈ります。正直言って「カネ削って困る人がいないワケないでしょ、何を今さら」みたいな感じですね。中には「無くて困るということはないんですけど、あった方がいいですねえ」的なコメントまで放送していて笑っちゃいました。

ニュースの捉え方というのはひとそれぞれだと思います。あくまでも冬眠蛙の感想です。なので、強制するものでもありませんし、逆にそれは間違ってると言われても、感想が変わることもありません。まあ偶にはこんなハナシもいいかな、ということで。

あ、そうそう、PC戻ってきました。ちなみに冬眠蛙はここ何台かずっとノートなので、外付けキーボード持ってないんですよね…。あれって安いんでしょうか。それすら知らないという。とにかく、ようやく普通にブログができる環境になりました。ああやれやれ。

批難覚悟で

たまには真面目に考えていたこと等書いてみようかと。

つい先日船場吉兆が廃業になるニュースが流れました。これに対して異議があるワケではありません。どうみても消費者を小ばかにした営業ですからね。ただですね、これに対するマスメディアの騒ぎ方は少し違うのではないかな、って感じるんです。

産地偽装はまあ置いておいて、客が残したものを他の客に出す、ということがどれ位悪いことなのか、ということが本題だと思うんですよね。でですね、じゃあ、どうすれば良かったのかと。多分大半の人は「それは捨てるべきだ」って言うのでしょうね。冬眠蛙は貧乏なせいか、それを勿体無いと思う人間です。食糧飢餓に苦しんでいる国が溢れていて、日本だって冬眠蛙よりもっと生活に苦しんでいる人がたくさんいると思うんです。そんな人たちの前でも「絶対に捨てるものだ」と決め付けていいものなのか?少なくともワタシには言えませんね。それが本当の人間じゃないかなと。衛生的に問題があるとかならハナシはわかりますけど。

なので、本当に問題にすべきなのは「残したものを同じ価値・値段で他の客に出すこと」であって、また、「それではどうすべきなのか」をちゃんと考えて欲しい。おそらく近い将来、食糧問題は今の何倍も重大になっていると予想されます。今回のことをその契機にするマスメディアが1個でも出てきて欲しい、と思う次第です。妄言多謝。

痛ましい話

今週末に飲酒運転による事故で尊い3つの生命が失われる事件がありました。
どうしてこのような事が起こるのか。人間の弱さについて考えさせられます。

今回の場合は事故を起こした後に助けずに逃げる、という話で、言語道断でしょう。他人の命を奪い、更に親から生を授かった自分の一生が台無しになる、という飲酒運転の悲劇をもっと認識してほしいと思います。
前にも書きましたが、多くの効果は望めないにせよ、罰則の強化は欠かせない。少なくとも飲酒運転をする=ドライバーの資格ナシの論理はどこか破綻しているのでしょうか?永久免許停止で全く問題ないと思いますね。どこかの県でやってもらえないかと真面目に考えています。皆様に問いかけます。ワタシ、何か間違ってるでしょうか?

…で、どう思います?

帰ってまいりました。さすがに向こうでは墓参りやらなんやらでバタバタしたので更新できませんでした。

 休みの間の大ニュースといえば、なんといっても大停電。いや、大変でしたでしょうねえ。でもアレですね、8月14日で良かったですねと。これが例えば年度末だったりしたら大混乱ですよ。お盆でなかったら交通とかビルとかもう想像を絶する世界になっていたのではと思います。
今回の件で感じたのはインターネットの情報の速さ。ニュースでやるよりも(もちろん東電の発表よりもww)だいぶ先に2ちゃんねるではクレーン船が原因らしい、という話になっておりました。中には「東電の掃除のおばちゃんがコードで躓いたらしい」とかいかにも2ちゃんねる、というデマ?もありましたけど(笑)。いずれ、情報の正否の判断よりも先に情報が流れてしまう、ということで、首さんではないですけど、少し怖い話ですよね。

 停電したのは3時間程度とか。さぞかし苦情が殺到したでしょうなあ。でもこの復旧時間が遅い、という見方はいかにも東京病だと思います。外国に行ってみればわかるんではないでしょうか。まあ、それに見合う割引額になっていない、という見方はアリだとは思います。多分一般家庭だと100円くらいでしょうから。状況からして全然足りないかなと。これについては夏場が災いした、というところでしょう。


 さて、その停電が落ち着いたところで本日は終戦記念日。小泉首相が予想どおり靖国神社に参拝しました。これについては冬眠蛙としてはマスコミとは少し違う疑問を持っています。8月15日、つまり今日、終戦記念日はあくまでも太平洋戦争の終戦記念日であり、他の戦争の終戦記念日とは違うということです。
 靖国神社というととかく太平洋戦争の戦没者というイメージがありますが、実際のところは明治維新から始まり、西南戦争や日清戦争…といった数々の戦争の戦没者が祀られています。もちろん一番数が多いのは太平洋戦争ですが、神社に祀る意味からして、終戦記念日にこだわるのは少し違うかなあという気がします。
 もうひとつは戦没者の定義でしょう。A級戦犯云々はさておいて、戦争で亡くなった、というのは一体どこまでが境界線なのかもよくわかりません。例えば終戦の後も飢えや貧困で亡くなった方も多いと思うのですが、そういった方は入らないのでしょうか?

 ひとつのシンボルとして今日という日を捉えるのであれば、終戦記念日という呼称ではなく平和記念日として、世界に向けて平和を訴えていく、そういう姿をこれからの日本に求めていきたいと思う次第です。妄言多謝。

官庁おそるべし。

同僚からニュースが流れてまいりました。詳しくはコチラをクリックしてご確認ください。

す…すごい。何がすごいって、再発行することを考えていないのが。まあ再発行すればしたで「税金の無駄使い」とか言われるのは見えてるんでしょうけど。普通の会社なら考えられない話です。NTTデータの関係者は今頃針のムシロに座らされている気分でしょう…。
ちなみに当然ながら仙台市民の私のところにも届いております。試しにコンビニ行ってみるかな…って今お金持ってないですけど。(汗)

さて、最近パズルだとコメントが多くくるので今日もまた1個。これも結構有名かも。

下図のような位置関係でAさん宅とBさん宅があります。
Photo

さて、Aさん宅からBさん宅に行きやすくなるように川に橋を1個かけることにしました。ただし、橋は川に対して垂直にかける必要があります。
ではどこに橋をかければいちばん短い距離でAさん宅からBさん宅に行けるようになるでしょうか?

もしよろしければこの前の記事の詰将棋のご感想もお待ちしておりますです。よろしくお願いします。

危険運転致死

今日、千葉県で起きた8人死傷轢き逃げ事件の裁判が行なわれ、懲役20年が言い渡されたようです。被告側は酩酊はしていなかった、ということで控訴する方針だとか。
他人がどう思っているかはさておいて、自分的には自分はフツーの感覚を持った一般人、という認識なのですが、懲役20年、というのは果たして妥当な刑罰なのでしょうか。

例えば貴方の子供や恋人、親が酒飲み運転でひき殺されてその人が懲役20年で納得できますか?私にはとてもできません。普通の運転で過失致死ならまたひいてしまった人の気持ちにもなれます。
酒飲んで運転、ということはその時点で運転者として、人間として失格だと思います。

例えばたまたま飲酒運転で事故を起こさず帰った人がいるとして、その人と事故を起こした人の間で罪の軽重があっていいんでしょうか?

昨今の治安の悪化を見るにつけ、社会のタガをもっと締めて欲しいものと思います。