詰将棋の変同による価値棄損
「変同」とは詰将棋用語の一つで正しくは「変化同手数」とのことです。定義すると「ある局面で玉方の応じ方が2つ以上あり、正解とされる手順以外の応じ方でも、詰上がりまでにかかる手数が同じであり、かつ詰方に駒が余らない手順が存在した場合の当該手順」位ですかね。
冬眠蛙が詰将棋を始めた頃から、既にこの変同の存在は減価事項として扱われることが多くなってました。最近はさらに厳しくなって、「変同は消すべき」位の見方の方が普通になっている感があります。
自分としては変同をすべからく悪者とすることに漠然とした違和感があったのですが、こないだここに載せた自作を見ていて、「ああそういえば、これも変同があったな」と思ったので、ちょっと考え方を整理してみました。だいたい自分の考えは以下のとおりです。
①詰将棋は解く人や見る人がいてこそ価値がある
②したがってその方が本質的ではない部分で「あれ、どちらが正解?」と迷うような状態だと、作品価値は落ちる
③したがって変同や変長は出来る限り避けた方が良い
という辺りが主軸ですが、ここから更に
④作意手順と変同手順で明らかな難易度なり感触が異なり、「ああ、こっちが作意なんだな」という共感が得られるようであれば、減価事項としては小さい
というのが冬眠蛙の考えです。もちろん難易度や感触が異なる、というのは個人の尺度なので一律になるものではないですが、ある程度コンセンサスは得られるのではないかな、と思ってます。
最初に述べた自作は3月19日の記事に載せた図ですが下の局面で変同があります。
ここで作意は「15玉、24馬、同歩、13飛成、同銀、16香」ですが、「14玉、36馬、24玉、34馬、15玉、25馬引」が変同となります。ただ、これで「後者が作意じゃないか」とか「作者はどちらを作意としているのだろう?」と考える方はほとんどいないのではないでしょうか。
ちなみに例えば玉方47歩を置けば、変同手順の方は駒余りになるので解消できるのですが、明らかに判別できる変同を消すためだけに余計な駒配置する気にはとてもなれませんでした。余計な駒1枚配置する方がよほど価値棄損ですね。
もちろん自分の見方を強制するものではないですが、詰将棋の楽しみ方として、「こういう考え方をする人もいる」という参考にしていただければと。
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