短評のチョイス
前回の記事で「注意しないと」と書いたのですが、実はもう手遅れだったようで、月曜病院に行ったらインフルエンザの診断。今日やっと社会復帰しました。やれやれです。
さて今日は取り留めのない話を。パラを読んでいると、短評の数、選び方というのは結構、担当者の方のカラーが出るものだなあ、と思います。手数が長くなればなるほど、短評もだんだん長くなるようで、短大や大学だと、解説もしっかり書かないといけないし、スペースのやりくりが大変なんでしょうねえ。
一方で小学校あたりだと解答が多いので、短評を載せたくとも多すぎて、という事情も。で、当たり前といえば当たり前なのですが、作品がそうであるように短評も「うまいと思わせる短評」と「イマイチ伝わらない短評」といったレベル差があります。ここをどう取るか、というのは、解説した経験では、結構な悩みどころです。
冬眠蛙が短コンの解説をしていたときは、幸い問題数が多いこともあり、「短評を付けてくれた解答者は最低でも1個は必ず載せる」ことを原則としていました。自分の解答経験から言って、「短評書いたのに載らない」というのは寂しいものなので。一方で、「全部に短評を丁寧に書いた方と、数個だけ短評を書いた方を同列に扱ってよいものか」という思いもあり、結構バランスにも気を使う。この短評の選択は毎回結構時間かかります(笑)。私だけですかね。
前に「これはユニークだ」と思ったのは金子(義)さんの選び方で、『作者の狙いが伝わりやすいタイプの作品だと、その狙いに評が集中するが、あえてそれに触れない短評を選ぶ』というもの。なるほど、そういうやり方も悪くないな、と。確かにほぼ同じ文面の短評、って必ずありますし。片方だけ載せると「なんで俺の名前じゃないの?」って思われるわけで。でも、できれば作品の狙いに触れた評は見たいかなあ、という気もします。
他にもホメ評と貶し評の混合とか、あぶり出しだとお約束の字形を入れた短評とか、結構いろいろな要素があるもの。詰パラの楽しみ方の1つとして、「短評のチョイス」というのも見てみてはいかがでしょうか。
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