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発表する、ということ。

パラ5月号で一番目をひいたのが詰備会作品展の結果稿の冒頭部分。「初見でないと評価上損をする」という発言、冬眠蛙もよく訪れるサイトなので見てました。で、「うーん、そんなものかねえ」とちょっと感じていたところです。では賀登屋さんの意見にもろ手を挙げているのか、というとそうでもないですね。紙の媒体で作品を眼にしたとき、前に見たのがあるとがっかりする、そういう解答者の方がおられるのも事実ですし、そういう場合、評点に跳ね返るのもままありますからね。

でも初見だろうがそうでなかろうが、作品の価値、というのは変わってないはずですよね。配置が変わっているとか手順が変わっている、というわけではないですから。仮に初見でないからという理由で評点が下がって結果して賞が取れなかった、という作品があったとしても、その作品の価値は変わっていないのです。ただし、賞を取れていない作品について、たとえ価値が高くともその後も光が当たるか、というと、ほぼ皆無だというのは事実です。例えば今月号の名局ライブラリーに載っている第198局は、辛らつに書いてしまえばA級順位戦で大橋氏が発表した作品の収束の7手に別の2手加えただけです。でも発表時には気付かれもしない、敬意がまったく払われていない状態なのです。A級優勝作ですらこういう状態ですから、他にも同じような例はたくさんあるでしょう。そういう悲しい現実の方が問題のように思えてなりませんし、某看寿賞作家の方もその辺を意識して書かれたのではないかと考える次第です。

ああなんか肩が凝っちゃいますね、こういう話は。肩の力を抜いて、やさしい超短編を1個。変同のキズがあります。ご了承ください。

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コメント

 冬眠蛙さんの作品としては、あっさりし過ぎですね。この3手収束は字にでもならないかぎり、7手では納得いかないです。
 たとえ半期賞とったって、今は半期賞作品集なんて出てないから、忘れさられてしまうと思いますよ。作品集に載ると忘れにくいような気はしますけど、、、。
 今は面白い詰将棋のアンソロジーが無いからなあ。昔は短編名作選や趣向詰名作選等、良い本が多かったんですけどね、、、。

詰備会の賀登屋さんも元気が良いなぁ、と思っていました。

作家たる者「たとえ初見で無くとも評価が落ちない、いや、益々評価が上がる」と言われる様な創作を目指したい。
それが、生涯一作でも構わない。

隅の老人Bさん曰く「詰将棋は生鮮食品と同じ、その場限りだ。看寿賞作品でも記憶に残るのは少ない」

 この話は長くなるので又の機会に。

No.198についてですが、後ろ7手は今や公共財産みたいなもんです。公共財産ならば、2手足して新作になるかどうかは、作図家個々の判断。その2手の価値をどの程度認めるかも、(解答者、担当者)ぞれぞれの判断。
なお、この手筋の最初の著名作は大橋氏作でなく柳原夕士氏作(1986看寿賞)では?

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